Report再生事例
再生事例1
私の後輩の話です。
彼は私より20歳近く若く、地域でも活躍していた若手リーダーでした。
市内でも50年続く老舗の中華レストランの3代目でした。
お父さんが開いた中華レストランは評判を呼び、
市内を代表する高級レストランでした。
その彼の会社(元々個人)が経営危機に陥ったのはお父さんの代でした。
お父さんは愛する奥さんのために自宅(別荘)をプレゼントしようと、
京都から職人を呼んでりっぱな京風の邸宅を建てました。
当時で2億円くらい掛かったと言うことでした。
売上は少なく見ても、月商2千万円、年商で3億円ぐらいでしょうか。
経営原則から言えば、自宅はお金を産まないので自己資金で建てるべきですが、
中小企業の経営者の大半はそんなものです。
大体、給与と言う明確なものは貰っていない訳です。
売上金から必要資金を用立てるというやり方です。
良い悪いではなく、当時はそういうやり方だったと思います。
毎月、給与と言う形で貰うと会社が赤字になる訳ですから。
そして郊外に邸宅を建ててからは、銀行は一切融資をしなくなったと言います。
飲食店に限らず小売もそうですが、1年のうち、2月、6月、9月、11月は
資金繰りの厳しい月です。
その時に一時資金が借入れ出来ないとなると、お店の資金繰りは相当大変です。
市内の自宅を売却しても不足資金を穴埋めすることは出来なかったと言います。
そうこうするうちに、お父さんが亡くなり、お母さんが社長を務めましたが、
財務状況は改善されず、若い息子さんが社長になりました。
彼は、専門レストランが厳しくなって来たので、脱専門レストランを図り、
多店舗展開を始めました。
有名ラーメンプロデューサーにもラーメン屋コンセプトを依頼して、
華々しく新店オープンしました。数カ月は長蛇の列でしたが、
1年も経たないうちに売上は激減し赤字に転落しました。
そのほかにも2、3店出店しましたがうまく行きませんでした。
私のところに来た時は、借入金が6千万円くらい。
店舗は自社物件の中華レストランと邸宅を改造した郊外型の中華会席のお店、
本店の横にあるスタンド売店の3店舗でした。
資金的には毎月垂れ流しで、当月の支払いも大変だと聞きました。
早速、当月から約条返済ストップを提案し、
了解を頂いたので債務処理に入りました。
まず現状を把握しました。
会社の資産として本店と別館の土地建物は銀行の担保に入っている。
自宅は数年前に売却をして返済に当てたが、全く足りなかったと言う。
作戦的には、お店は出来るだけ売却されないように努める。
でも運転資金の問題があって、自分達では運営できないと言う。
その中華レストランを運営する第2会社を設立し、
彼とは別の会社として運営することにした。
勿論、会社口座や連帯保証人の個人口座の資金は全て抜いていた。
そうやって、現状では事業継続は無理であることを銀行に説明した。
銀行からは一切質問はなかった。
恐らくこちらの説明に圧倒され、質問したくても一切出来なかった
と言うのが本当だろう。
債権者は、保証協会付きの地方銀行と政策金融公庫の2行だ。
その後、一切銀行から彼のところに連絡はなく、
マニュアルに沿った書類が来るだけです。
その後、一切返済が出来ないので、最終的に物件は競売手続きを打たれた。
買い戻し資金がないので、本店は入札者に取られたが、別宅は協力者がいて、
銀行と交渉の上、協力者が買取り、1年後には母親が買い戻した。
後輩は中華レストランを運営して行くのは時期尚早と、
友人から資金を出してもらいクラブを1件運営して幸せに生活しています。
お金は潤沢ではないにしろ、毎月資金繰りに追われず、
好きな事が出来ているので今は天国じゃないでしょうか。
また彼の奥さんもお店をやっていますが、それも会社の債務保証から守られ、
繁盛しています。
本来の債務の保証人である後輩とお母さんは、自己破産をしないで、
しっかり自分の目標に向かって、着実に進んでいます。
再生事例2
■■ オリックス債権回収との係争
皆さんから、サービサーとの交渉又は戦い方を
聞かれることが多いこの頃ですが、
5ヶ月程前にオリックス債権回収と和解しました。
皆さんからサービサー問題では、交渉した方が
良いですか、それとも無視した方が良いですか?
と良く聞かれますが、正直な話、
債務者の状況や落とし所で対応が全て変わって来ます。
サービサーから案内が来たからと言って、
すぐ話し合いに応じても満足の行く和解は無理です。
今回は自分自身の事例を説明しながら
サービサーとの交渉の仕方や戦い方をお知らせします。
■■ 私の事例
オリックスの債権は、元々は商工中金の債権です。
私は外食事業を展開していましたが、
個人的にはワンルームマンション投資もしていました。
そして商工中金は個人債務でした。v
当然不動産は競売に掛けられ、残った
無担保債権がオリックスに売却されたのです。
会社の債務処理では、メインバンクのみちのく銀行と
サブドメインの商工中金が会社再建のバックアップをする
ということで結託して私を騙して債権回収を図ったのです。
その中の一部がオリックス債権回収に債権譲渡された訳ですが、
商工中金は、
平成元年10月31日付金銭消費貸借契約に基づき
下記の通り金員を貸し渡したのです。
1) 貸付金額 金45,000,000円
2) 最終返済期日 平成30年10月26日(休日の場合は翌営業日)
3) 損害金 年14.5%(念365日の日割計算)
オリックス債権回収(以下、オリックス)は平成20年3月6日に
商工中金から譲り受けたのです。
当時オリックスが譲受した債権は、
譲受債権額(元本額) 支払済みの額 残 額
金27,099,246円 金4,447,647円 金22,651,599円
債権を譲受したオリックスは、当然一括返済を求めて
請求書を送付して来ました。
私は一切無視して、請求書は全て燃えるゴミにしてました。
■■ オリックスとの係争経過・・・「めんどくせぇ事件」
オリックスが平成20年3月6日に債権を譲受して以来、
悉く来る案内、通知書や請求書は無視し続けました。
そうしたら、平成24年12月26日付けで、
八戸簡易裁判所から支払督促状が届きました。
通知書を見たら、オリックスからの支払督促でした。
なぜオリックスが、このような支払督促の裁判を打って
来たのかと言えば、
1.それ以外、やりようが無い。
2.債務時効の中断のためです。
一般的に債務は5年で時効を迎えます。
税金も同様に5年で時効です。
オリックスの裁判は債務時効まで3ヶ月弱でした。
これによって債務時効は判決から10年に伸びるのです
。
サービサーはしばしば5年時効成立の直前で
支払督促の裁判を打って来ることが多いです。
3.なぜ簡易裁判なのか
当然、全額の2700万円を回収することは不可能と考え、
経費が安く済む簡易裁判(回収上限が140万円)にしたのです。
無視しても良かったのですが、悪戯心が起きて、
地元でもあったので裁判に出廷しました。
するとオリックスは会社の担当者が出廷していました。
支払督促の裁判目的は、債権の特定なので、
債権者の主張は、あっさり認められました。
勿論、私も債権の存在については認めました。
裁判長からは、債権者と債務者とで別室で
和解に向けた話し合いをするように言われました。
オリックスの要望は、「50、60万円払えないか」
というものでした。
「そんなお金は払えない」と拒否しました。
そうしたら「月1万円の支払いでも良い」と提案して来ましたが、
「5,6年先まで責任が持てない」と拒否しました。
本当は手元資金が潤沢にあれば、
2700万円の債権を60万円で和解と
言う話なので悪い話では無いと思いますが、
逆にオリックスは60万円を回収出来るのか、
と考えた場合、精々5万、10万だろうと踏んで、
「私が言えるのは、一括10万円支払いだ」
と言うと、
「とてもそれでは会社の了解が取れない」
と言われましたが、
「10万円なら何とか掻き集めても払える。
60万円では借金しないと払えない」
と突っぱねました。
実は担当者が了解したら、10万円を払わなければ
ならないため、ドキドキしていました。
銀行口座差押えを受けても、精々回収額は2,3万円、
最小であれば1000円以下だと踏んでいましたので、
和解の話をしないで差押えさせた方が得なのは分かっていました。
担当者は、「帰って会社に相談する」と言って帰りました。
相手は東京から青森まで来ているので
、来るだけでも経費が掛かります。
その経費も勿体無いので、早く和解して解決した方が得と
考えていたのです。
半月程して、オリックスの担当者から電話があり、
「何とか和解できないか、月1万円支払いでも良いので
検討してくれないか」
と言うことでした。
適当に返事して電話を切りました。
裁判の1週間くらいに再度電話があり、
「検討して頂けましたか?」
と言うことだったので、
全くその気の無い私は、
「やはりお金も無いので無理ですね!」
と言って、お金の無いことや5年先までは
責任持てない事を説明すると、
「めんどくせぇ!」
と言って担当者は電話を切りました。
想定していた結果とは言え、
「めんどくせぇ!」と言われたことにショックを受け、
早速ブログやメルマガにその記事を書きました。
1回目の裁判は決裂です。
その2年後にオリックスは、第2会社の給与差押えの
訴えを起こして来ました。
第2会社の本社は東京なので、今度の裁判は
東京地裁です。
正直、これは交通費も時間も取られるので弱りました。
でも乗り掛かった船なので、そして結末がどうなるのか
と気になって出廷しました。
1回目の裁判では、給与の有無、
2回目の裁判では、無給の証明
をして私の勝利に終わりました。
裁判を終わって法廷を出るとオリックスの担当者が待っていました。
最初に言われたのは、
「長谷川さんのオリックスの記事は上位表示をしてるんですか?」
と聞かれたので、
「はぁ、そんなことはしていませんよ。何故ですか?」
と聞くと、オリックス債権回収をネットで調べると
私の記事「サービサーが言った、めんどくせぇ」が
上位表示されると言うことでした。
あとで調べてみると確かに3番目に上位表示され、
しかも1位、2位はオリックス自身のサイトでした。
実質、1位と言う訳ですね!
私の記事が上位表示されるので、社内的にも話題になり、
上司に尋ねられたそうです。
「お前、本当にそう言ったのか?」
と問われて、
「確かに私が言いました」
と言ったら、上司から指導を受けたそうです。
担当者が、
「その件では、大変申し訳ありませんでした。
誤ります」
と私に素直に頭を下げました。
そして担当者から、
「何とか和解できませんか?もし和解できなければ
永遠にこの争いが続きますが!?」
と言うので、
「和解したいのは山々だけど、債務者が可能な範囲の
条件を提示してくれなければ債務者は和解できませんよ」
と言うと、
担当者は、
「何とか、15万円支払えませんか!?」
と言うので、
「前回から言ってるけど、10万円だったら一括で支払いますよ。
それ以外は無理」
と答えると、
「分かりました。了解取れるか分かりませんが、
上司に確認して見ます」
と言って分かれました。
3日後に電話で、
「会社の了解が取れました」
と連絡があったので、
5日後に10万円を振込みました。
1週間ほどして債務に関する原本の全てを
私の自宅に送って来ました。
オリックスの担当者と債務処理の件について
有意義な意見交換が出来たのと、
2回の東京往復交通費、約7万円。
合計で17万円の支払いで2700万円債権の
一件落着が出来たのは大変良かったと思います。
解決を急いだり慌てると債務者の方が損をします。
時間は絶対に債務者の味方だと思います。
債権者との戦いは、十分防御対策を行なった上で、
焦らずじっくり戦うことが債務者のメリットにつながります。